夜の静けさに包まれた、古い日本家屋。
満月が青白く輝き、軒先の提灯が温かな光を放っている。
その入り口で、ひとりの小さな少女がこちらに向かって手を差し伸べていた。
「いらっしゃいませ!」
少女の名前は、生霊。
人の強い想いや未練が形となって現れるといわれる、不思議な存在だ。
けれど、目の前にいる生霊は、恐ろしい姿とは程遠い。長い黒髪を揺らし、白い着物をまとった、愛らしいちびっ子の妖怪だった。
「こんな夜遅くに、どこへ行くの?」
少女は首をかしげながら尋ねた。
「帰る場所を探しているの?」
その言葉に、思わず足が止まる。
人は誰でも、心の中に誰にも話せない想いを抱えている。
忘れたい記憶。伝えられなかった言葉。もう一度会いたい人。
もしかすると、生霊はそんな人間の心に残った想いを見つけて、夜の道に現れるのかもしれない。
「大丈夫だよ。今夜はここで、ゆっくり休んでいってね!」
少女が笑うと、周囲に浮かぶ青い炎が、まるで道案内をするようにふわふわと揺れた。
不思議なことに、その炎には少しも恐ろしさを感じなかった。
むしろ、冷え切った心をそっと温めてくれる、小さな灯火のようだった。
「明日のことは、明日考えればいいんだよ」
少女はそう言って、もう一度、こちらに手を差し伸べた。
満月の光が白い着物を照らし、静かな夜風が長い髪を揺らす。
妖怪の住む不思議な宿。
そこでは、誰もが少しだけ素直になれるのかもしれない。
もしも夜道で、かわいらしい生霊に「いらっしゃいませ」と声をかけられたなら。
あなたも一晩だけ、心の荷物を下ろしてみてはいかがだろうか。
恐ろしいはずの妖怪が、誰よりも優しい案内人だった。
そんな不思議な夜が、日本のどこかにひっそりと存在しているのかもしれない。
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